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ガールズファンタスティックメモリー!

ファンタスティックなメモリーをいかに刻めるか、人生を楽しみ尽くしたいひとの書くブログ

【わたしはSNSに救われた一人】思春期に出会った二人のオトナ

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今日はちょっと深いテーマで書いてみようと思います。

実はわたし、思春期の頃にネットに大変お世話になった経験があります。

だからこそ今、こうしてここで綴ることをしているのかもしれません。

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これを読んでくれた人の少しでも助けになれば幸いです。

もし、いま悩みを抱えていたり、誰にも言えない苦しさがある小学生、中学生の方が見ていたら、ぜひ最後まで読んでみてください。

わたしも同じように苦しかったときがありました。

でも、そのトンネルから必ず抜け出せます。

今は信じられなくても、そのころが思い出せなくなるくらい、楽しい日々を過ごせる日が来ます。

 

お子さんを持つ方にもぜひ読んでほしいです。

 

長くなりましたが、本題へまいります。

 

 

ネットは希望の光にもなる

ポケモンGOが配信されてから、

アカウント名は名前などと全く関係ないものにしましょうとか、

位置情報をさらすのは危険とか新たな犯罪の種らしきものがちらついている。

LINEでもさんざんいろんな事件が起きて、悲しむ人もでて、SNSやネットとのかかわり方について思い知らされることが多くあった。

主に被害にあっているのは、こどもだ。

どこにいてもなにをしていても、誰かとつながることができる、顔を魅せなくてもー。

こんな便利な道具が当たり前の世界に生まれ育った現代のこどもにとって、スマホを持つのは当たり前でSNSもネットも使って当たり前の存在になっている。

 

思春期になると、特に、誰にも言えない悩みを抱えたりする。

そんなとき、ネットはこどもたちにとって良き意味で逃げ道にもなるし、大きな希望の光にもなる。

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誰もが開ける玉手箱

思春期は大なれ小なれ誰にでもある。

浦島太郎の玉手箱みたいなものだ。

中くらいなんてない、大か小のどちらかをそれぞれ知らぬ間にあけている。

大きいから損したとかそんなこともない。

その分自分に良きものとなって必ず返ってくるものだから。

 

今思うと、わたしは大きな箱の方だったと思う。

 

なかなか自分を出せない自分、人見知りな自分、

本当は楽しいことやにぎやかなことが好きなのに、大人しい自分が本当の自分だって思い込まされてる変な窮屈感、そこから抜け出せない弱い自分。

いろんな自分が自分の中にいて、それが全部敵というか。きらいな存在で。

 

自分の思春期を振り返るとカナリ荒れてた気がする。

あ、内面的に(笑)

だから自分だけが苦しんでる状況。

他の人には普通に見える。

そんな感じだった。

 

見えないくるしみ

大人しい子だった、まじめな子だった、みんなに優しい子だった―

まわりからそう証言される子が犯罪を犯したり、誰かを傷つけたりする事件がたまにあるが、そんなニュースをみるたびに、あれはあの頃のわたしと同じ仕組みなんだと思う。

端から見ると普通に見えるから、本人は尚くるしい。

弱みをみせたり、助けを求めるチャンスさえつかみきれない。

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思春期に出会ったオトナ

思春期のころ、わたしはネットで2人の大人に出会った。

 

一人はおそらく40代の男性で、

もう一人はいまのわたしと同じくらいの20代後半の女性だったと思う。

そのふたりは、SNSで知り合った。

まさかそんな話を聞いてもらえる仲になるとは思ってもなかったし、突然はじまった出会いだった。

 

小学校後半くらいから中学にかけて、ひそかな心の支え的な存在だった年上の女性は、

会ったこともないのだけど、わたしのことをとても大事に思ってくれていた。

顔も見たことがない、どこに住んでいるかもわからない、わたしのことを知らない人なのに、こんなにもあたたかく接してくれて、励ましてくれる人がこの世界のどこかに生きてるんだと思うだけで、心強く思えた。

 

思春期のころって、変に極端な考え方してたり、おそれてたり、無駄に自分を責めまくっていたり、いろんな感情がうずまいている。

心が構成されているときだから、それでいいのだけれど。

当の本人はとっても苦しかったりするものだろう。

大きな箱を開けたひとはなおさらに。

 

その女性とは結局一度も会ったり、声を聞くこともなく、

ただメッセージのやり取りだけで自然にやりとりはなくなった。

 

私に出逢った頃は、彼女はまだ独身で、何年かして結婚した。

そしてこどもを産んだ。

わたしにとってはすでにおかあさんのような存在だった彼女は、きっと今もどこかでお母さんをやっているのだろう。

 

もう一人の40代の男性は、高校から大学くらいのころメールのやりとりをしていた。

40代のおじさんとはたから聞くと、いかがわしいって思うかもしれないけど、

その時は本当に純粋に話を聞いてくれていた。

 

 

わたしはなぜか、中学生のころから、他の子とは違って、自分は将来こうなりたい!カッコイイ女になりたい!とか、大物思考だった。

今の自分があまりにちっぽけすぎるからその反動もあったのかもしれない。

だから、そんなわたしに考え方とかを教えてくれるおじさんの存在は大きかった。

恋愛に悩んだときも話を聞いてくれた。

 

とーっても長い文章だったのに、丁寧に読んでくれてとーっても長いお返事をくれた。

今考えると、おじさんも仕事やらいろいろあったと思うのに、

見ず知らずのわたしのために時間を使ってくれて、しかもそれに値する対価すらわたしは返せていなかったのに。

 

良い人だっている

ネットにはこわい人もいるかもしれない、でも、それだけじゃないということも知っておいてほしい。

だってこれは現実社会だって同じことでしょう?

近くの街で通り魔があったとかそんな話を聞くと、やっとそんな人が自分のまわりにも存在するのだという恐怖を感じ始める。

普段は全く意識してないのに。

メディアはサイレンを鳴らして報道し、大人はこどもを守ろうと目を光らせる。

そういう大人の一時的な強い恐怖心や警戒心に、こどもは大きな影響をうける。

 

親の愛情が裏目に?

私の母は、カナリの心配性だった。

何かしたいと言うと、大概は「~になったらどうするの!」と言われた。

いつも先回りして、心配事をぶつけられた。

信じてるからやってみなさいなんて、肯定的な言葉はあまり言われた記憶はない。

親からすれば、なにもしらない我が子が危険な目にあわぬよう、愛情のつもりだったのだろうけど、自分が心配性だということへの自覚のない大人が言う言葉はこどもにとっては鋭くとがったナイフのように本当にこわいのだ。

今でもわたしのことをあれこれ心配しているが、たいして根拠もないくせによく言ってくれるわ、と今なら軽く受け止められる。

でもあの頃は、本当にそうなるんじゃないかってこわかった。

お子さんを持つ方は、そういう点も意識して見てほしい。

仕事や子育てが大変すぎてそんな余裕もないかもしれない。

でもこどもは大人よりも可能性が無限なんです。

その可能性を、勘違いした愛情でつぶしてしまわないように、こどもの立場に立って世界を見る時間を持ってほしい。

 

 

私を知らない他の誰か

思春期の頃のわたしは、ただただ、話しを聞いてくれる誰かを、答えをくれる誰かを求めていたように思う。

 

同世代の友達でも、家族でもなく、他の誰か―。

わたしを知らない誰か。

なりたいわたしを知ってくれる誰か、本当のわたしを知ってくれる誰か。

 

思春期の子どもならではなのかもしれない。

よく、ネットで知り合った人についていって被害にあったり、事件に巻き込まれたりするこどものニュースが飛び交うが、それはこういう心理からなのかもしれない。

わたしはたまたま、とても良い人に出会ったから、何事もなくこうして生きているけれど。

カナリの低い確率でいるわるい大人に出逢ってしまった、まだ判断力のない弱い子どもたちもいる。

だからといって、こどもをネットの世界と断ち切ってしまうと、心のはけ口がなくなり、自分では抱えきれなくなって命をたつ子だっているかもしれない。

身近にいる友達や大人に話せない子だっているのだ。

わたしがそうだったから例外ではない。

見えないからこそ見える 

わたしのように思春期の頃、ネットで知らない人と会話をして新たな気づきや考え方、励ましをもらったという人は少なくはないはずだし、不思議ではないはず。

だって、ネットだって人との出会いには変わりはないのだから。

顔は見えないけど、心はちゃんと見えている。

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。